ELLE Japonをみていたら、懐かしい名前を見つけました。モニカ・ルインスキー。
最後に彼女をテレビで見たのは、もう随分前なのに。記事の写真では、ほとんど変わっていなくてびっくり。
つい最近、街で黒いベレエ帽をかぶっている女性を見かけ、彼女の事を思い出したばかりだった。
モニカ・ルインスキーなんて。それはもう、20年前の出来事なのに。
こんなに時間が経っていても。アメリカで、黒ベレエをかぶっている女性は、いまだに見かけない。
9・11の後、アフガンスカーフが街から消えたように。黒ベレエも、誰も、被らなくなった。
それほど、彼女が起こしたスキャンダルは、衝撃的だったのです。
アメリカ、ホワイトハウスのインターンだった21歳のモニカ・ルインスキーは、元アメリカ大統領、ビル・クリントンに、恋をした。
黒ベレエ帽をかぶった満面笑顔の彼女と、クリントンの姿は、何度もテレビで流された。
後から見れば、その時、2人は不倫の真っ最中。心を隠せるものではない。
クリントンは答弁の時「それは “is” の意味によって変わる」と、なんとも素晴らしい言い回しで、のらりくらりと、逃げ切った。
毎朝クロスワードバズルをやっている成果なのか、言葉たくみなのが、憎たらしかった。
だけどそのうちに、モニカが、弁護士を通じて、クリントンの精液のついた黒いドレスを証拠として提出した。それは、誰も見たくない、疑いようのない、不倫の証拠だった。
しかも、その行為は、大統領の執務室で行われたという話。大統領が電話中、デスクの下に隠れていたモニカが、****。
話が、ますます生々しくなり、アメリカ国民のモニカへの憎悪が抑えきれなくなった。
モニカを主人公とした、意地悪な絵本まで出版された。彼女の「悪女」のイメージは、完全に定着した。
そして、誰もが、彼女を連想させるファッションから遠ざかった。アメリカ女性にとって、黒のベレエ帽は、悪女の象徴となり、タブーになった。
私はその頃、アメリカ人の友人に、
「でも、彼女はまだ21歳の子供よ。野心満々な若い女の子が、アメリカ大統領に、脈ありな素振りをされて、恋しちゃったのよ」と、言ってみた。
友人は、鼻を「フン」と鳴らして、私に呆れたような、笑顔を向けた。
アメリカ人は「正しい」と「間違い」を、はっきり言う。私のように、グレイを好まない。
この、個人の「正義の判断」が、国民大多数の意見となり、一致団結した時のアメリカは、怖いと思う。
そして、もうとっくに許されているビル・クリントンに比べて、人々のモニカ・ルインスキーに対する意見は、現在も批判的だ。
フェミニズムは、平等ではないと思う。
ELLE Japonの記事によると、モニカはあの後、イギリスに留学し、社会心理学の修士課程を修了したらしい。それでもアメリカに帰国後、仕事はなかったそう。だから、裁判の弁護士費用のために、積極的に雑誌&テレビの取材を受けた。
現在のモニカ・ルインスキーは、SNSで誹謗中傷を受けた被害者に、寄り添う活動をしているそうです。
私は、モニカが生き延びていて、本当に良かったと思う。
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